京都人が腹黒いのは「応仁の乱」のせいである。
先日、会計事務所向けのサービスをしている東京の会社の営業マンから連絡があり、話を聞いてほしいという事でお会いすることになりました。
お会いするとその営業マンは、会社のPRから始まり、色々とサービスの説明をしてくれた後に「このサービスの導入によって御社の顧客拡大に弾みがつくと思いますが、いかがでしょうか?」とクロージングを迫ってきました。
イマイチ乗り気でない私は「考えてとくわ。」と返答したところ、2日ほどたって、その営業マンから「考えていただけましたでしょうか?」との電話がありました。
私は「もうちょっと考えさせてください。」とその場しのぎに、返答しましたが、また2日ほどたって「考えていただけましたでしょうか?」という電話がありました。
「考えとくわ。」という返事は、京都では、やんわりとお断りをしている表現であることが多いのですが、何度も電話をいただくことが切っ掛けで、こういう表現って日本の標準じゃないのかも知れないと、ふと思いました。
京都人は言っていること(考えとくわ。)と本心(お断りします。)が異なっていたり、遠回しに言いたいことを言うような文化があり、腹黒いとか、イケズとか言われたりします。
学生のころ、宴会や合コンなどを開催する時に「行けたら行く!」と回答することがありましたが、京都人の「行けたら行く!」は、人数にカウントしていいのかどうかわからないし、この言い回しが出た時は、ほとんど来ない、と他府県の友人が嘆いてたことを思い出しましたが、これなんかも答えを保留する独特な言い回しです。(幹事さん、ゴメンナサイ)
ただ、どうしてこんな言い回しをする文化になったのかって言うと、そうしないと生き残れなかった深い歴史があるからなんです。
その生き残りの歴史とは、なんと1465年の「応仁の乱」にまでさかのぼらなければならないのです。(京都の人が先の大戦というと応仁の乱のことを指すそうです。)
なんだか歴史秘話ヒストリアに出てきそうです。(でも、確固たる証拠があるわけでもありません。あくまで、推測です(笑))
ご承知のとおり、応仁の乱は、山名宗全率いる西軍と、細川勝元率いる東軍が、京都の地において権力争いをしたわけですが、京都中が焼け野原になったわけです。
最も大きな被害者は、そこに住む町人だったわけですが、もし皆さんが当時の町人であって、武装した怖い武士から「お前は西軍と東軍のどちらの味方なのだ?」と質問されたとしたら、どう答えたでしょう?
もし、「西軍です。」と言って東軍が勝利すると、後から首をはねられる可能性もあるわけです。
だけど「どちらでもない。」というと、これまた首をはねられるかもしれないのです。
だからこういう場合「考えさせてください。」と答えたのではないかと思うのです。
「考えさせてください。」ということで「あいまいさ」を残すことでしか、生き残れなかったのではないかと思うのです。
加えて、この言い回しが、モンゴリアンの蒙古斑のように、遺伝子に組み込まれて、引き継がれるようになったのは、幕末の薩長土肥入り乱れての京都での政権争いが決定的な原因になったんじゃないかと思います。
ですので、生き残る知恵として京都の人のイケズさとか、腹黒さが必要となったわけで、決して性格が悪いわけでもなんでもないのです。
最近、京都へ来る観光客の数が年間5,000万人を突破しました。外国人宿泊客も100万人を突破しており、うれしいかぎりです。
そういった観光に来て下さる方に、「おもてなし」をするのが、大好きな京都の方がたくさんいますが、京都人の「おもてなし」には「裏がある」なんてことは、決してございませんので安心して観光にお越しいただきたく思います。
アイネックス税理士法人 代表社員 川端 雅彦
2015/02/20