ブラジルワールドカップ観戦記
ワールドカップ開催前に予測した決勝カードのブラジル対スペインが、かすりもせず外してしまいました。
無敵艦隊のスペインがオランダに大敗したショックもさることながら、地元ブラジルがドイツに1−7で屈辱的大敗を喫したことはブラジル代表選手のみならず国民にとって、トラウマになるような傷跡を残したように思います。
3位決定戦で、ブラジルが、サンバのリズムに乗ってブラジルらしいサッカーで締めくくってくれることを祈るばかりです。
という前置きは置いておいて6月12日から10日間、17,000?離れたブラジルへサムライブルーの応援に行ってまいりました。
地球の裏側ということを物語る時差12時間は、時計の針を修正する必要のないという点では便利ではありますが、25時間機内に閉じ込められるという苦行でした。
ちなみに、復路は、ナタールからブラジリア→リオ→ドバイ→関空という経路でしたので、トランジットの待ち時間を含めて、36時間かかりました。長時間座り続けていた影響なのか、帰国後しばらくして「ぎっくり腰」になってしまいました。
さて、そのブラジルでの7日間ですが、日本で報道されていたような危険な目には、会うこともなく、むしろ親日的なブラジル人の親切に触れることができました。
リオに到着して、一晩過ごした翌朝、レシフェという町へ移動する飛行機が午後2時に出発するので、午前中にコルコバードの丘の巨大キリスト像を見学しに行こうと企てました。
ところが、ホテルの人に聞くと、タクシーでコルコバードへ行って、スーツケースを取りにホテルに戻って空港に行くのはとても時間が足らないと言われました。
半ばあきらめながらホテルを出ると、コルコバードへ行って、そのまま空港へ送ってやる!とボディーランゲージしているボックスカーの白タクの運転手が立っていました。
ポルトガルなまりの英語と、日本語なまりの英語で値段交渉が成立し、車に乗り込んだのはいいものの、観光している間にスーツケースを持って逃げられたらどうしようかと心配した私は、同乗した先輩に「やばくないっすか?」と日本語で言うと「乗ってから言うな!」と怒られ、腹をくくって、白タクの運転手に身を委ねることにしました。
ところが、そんな心配をよそに、この運転手はコルコバードの丘に到着すると、一緒に車を降りて、キリスト像のところまでついてきてくれたばかりか、カメラマンとなって、最高のアングルで写真まで撮ってくれるという、本当に親切な「カリオカ」だったのです!
空港についてから、チップを気前よく上乗せして、日本の初戦が行われるレシフェ—へ移動するという気分の良いスタートが切れました。
で、初戦のコートジボワール戦。気分よく乗り込んだものの、結果はご承知のとおり。
とほほ...。
試合の翌日の日暮れ前、世界一危険な街と言われているレシフェの海辺で、オジサン3人が段ボールを下敷きに黄昏ていると、図体のでかいポルトガル系(だと思う)の男性が近寄ってきました。
何やら不穏な空気を感じたオッサン3人が身構えたその時に、彼は、直立不動になりながら、意外な言葉を投げかけてきました。
「ニッポン人ですか!?」
「そうです。」と答えると、笑顔を振りまきながら、日本が大好きで、日本語を勉強している弁護士のルーベンだと自己紹介をはじめ、浜辺へは彼女と一緒に散歩に来ているのだと説明してくれました。
昨日のコートジボワール戦は「誠に残念だった。」と労いの言葉を、時々おかしい日本語で語ってくれる親日的な好青年でした。
世界一危険な街で、どこで夕食を食べようかと思案していたところだったので、彼に水先案内人になってもらえるかも知れないという期待から「一緒に、晩御飯食べませんか?」と誘ってみました。
「い、いいんですか?」と恐縮しながら返事してくれて、彼の彼女も交えて、ピザの美味しい店にありつくことができました。
なかなか、小奇麗な店で、お客さまもボーイさんも、良い感じの人ばかりでした。
しばらくすると、NHKの山本浩アナウンサー筆頭に、日本人が20人ほど、ぞろぞろと入ってこられました。そして、なんとその中に、Jリーグの4代目と5代目のチェアマンもいらっしゃるという機会に遭遇し、思わず記念撮影までしちゃいました。
ベルギー対アルジェリア戦を観戦した、ベロ・オリゾンテでも、ホテルのバーで、関西弁訛りの日本人女性と結婚している、日本語ペラペラのブラジル在住の変なアメリカ人との出会いがあり、陽気に酔っぱらうことができました。
そうそう、ベロ・オリゾンテで日本料理店を紹介してもらいましたが、屋号が「UDON」なのには驚きました。
「Spaghetti」って屋号のイタリア料理店には行く気になれないのと同じように、気が引けたのですが、連日のシュラスコに食べ飽きていたのが背中を押してくれました。お味の方は、想像にお任せしますが。
と、まあこんな感じで、出発前は、遺言を書いておいた方がいいのではないかと心配し、現地では、強盗に襲われた時のために、お金を小分けして4つのポケットに忍ばせていた私にとっては、拍子抜けするほど危ない目に遭遇することなく過ごしたブラジルでした。
もちろん、危険な地域へ足を踏み入れれば、それなりにリスクはあると思うのですが、外務省の自己保全のための宣伝を、そのまま鵜呑みにして委縮してしまうのは、旅行するという楽しさを半減させてしまうのではないかと思った7日間でした。
ただ一つ残念なのは、日本代表が、良いところなく予選を敗退したことです。
もし、日本が観戦した2試合のうちで1勝でもあげていてくれたなら、帰りの36時間は、もっと短く感じただろうと思います。
でも、あのスペインですら涙を飲み、ブラジルも浮き足立って屈辱的大敗を喫したわけですから、勝負は時の運と言い聞かせ、気長に応援し続けようと、4年後の「ロシア・ワールドカップ」へ向けて、積立てを企てています。
がんばれニッポン!次も期待しているぞー!!
アイネックス税理士法人 代表社員 川端 雅彦
2014/07/11
- 雑感