人はなぜ怒るのか?
人は一人で生きているのではなく、人と人の間で生きているという意味で「人間」という日本語は、実にうまく人が生きる本質を言い表しています。
そして、この人と人の間に生きているが故に悩み苦しむことになります。
例えば、他の人は自分の意のままに生きるわけではありませんから、他の人が自分がしてほしいことをしないで、してほしくないことをすることがあります。その時、私たちは心穏やかでなくなり、悩み、苦しみます。
そして、場合によっては怒りを覚え大声を出すことになります。しかし、本当は怒りにかられて大声を出すのではなく、大声を出すために怒るのです。
怒りという感情が私たちを後ろから押して支配するのではなく、他の人に自分のいうことを聞かせようとして怒りを使うのです。
自分の行動を正当化する理由が後で考え出されることもあります。
学校に行きたくないと思った小学生は、学校に行きたくない理由を考え出します。前の晩、遅くまで起きていたとか、よく眠れなかったとかということができるでしょうし、面白いことにお腹が痛くなったり、頭が痛くなったります。
そして、親が学校に連絡し、晴れて学校に行かなくてよくなると、その症状はたちまちよくなります。そのような症状が必要である必要がなくなったからです。
私のドラ息子も「勉強する目的がわからないから」という理由を持ち出し、全く勉強をしなかったのですが、これも、勉強したくないから、勉強しなくていい理由を後から考え出したというのが本当のところだと思います。
自分のことが好きになれないという人もたくさんいます。これとて、自分を嫌いになろうという決心が先に来ているのです。そして、その目的は「人と関わらないでおこう。」ということです。
誰かといい関係を築こうと思っても相手に嫌われることはありえます。そんなことなら最初から関わりを持たないでおこうと考えるのです。そして、自分の短所をできるだけたくさん探して好きな人に自分の思いを打ち明けないでおこうとしているわけです。
このように、どんなことについても、したい、したくないということが最初にあって、後から理由が考え出される、ということを主張するのが心理学者のアドラーです。
つまり、原因があって感情や行動が起こるのではなくて、目的があって感情や行動がおこるので。
しかし、私たちは原因論的に物事を考えることに慣れ親しんでいるので、これを変えるにはトレーニングが必要です。
「アドラー心理学 シンプルな幸福論」の中で、著者の岸見一郎氏は、変わる視点として次の二つを提示しています。
一つは、怒りや不安についていったように、感情がわれわれをいわば後から押すのではない。したがって、自分の感情に対してどうしようもないということなど「ない」と自覚すること。
つまり、感情に限らず、何かに強いられ自分ではどうすることもできないということはないということです。
なぜなら、すべてのことは自分で決めているからです。自分ではどうすることもできなかったと考えたい人はいますが、そのような人には、そのように考える「目的」があるのです。
次に、今の自分が不幸なのは過去に原因があるのでは「ない」ということ。今の不幸の原因が過去にあるなら、これから幸福になることはできません。タイムマシンがあるなら話は変わりますが、過去に戻ることはできないからです。
過去にある原因を変えることはできませんが、未来にある目的は必ず変えることできるということです。
「他人と過去を変えることはできない。自分と未来は変えることができる。」という格言は、このことを見事に言い表しています。
どのような状況であっても感情は選択できます。もっと言うと、どんな状況下においても「幸せ」を感じることはできます。なぜなら、それを決めるのは自分である、からです。
それから、もう一つ大切な視点として、他人とどう向き合うかについて述べられています。
結論から言うと、最初に他の人を仲間と思い、自己中心から脱却すること。他の人に何ができるかという利他的な心を持つということです。
しかし、自分を愛する以上に他人を愛することはできないわけですから、自己を肯定することが大切であると述べています。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになるのだ。」という幸福論の中でアランが語ったことを、より幸福に生きると決心し、そのために笑うのだという目的的に生きる人が多くなると世の中も幸福感で満たされると思わせる一冊でした。
2013/05/14
- 雑感