「感情労働」について想うこと
皆さんは「感情労働」という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。
最初に提唱したのは、アメリカの社会学者A・R・ホックシールド氏です。「感情労働」とは、客などの満足を得るために自身の感情をコントロールし、常に模範的で適切な言葉・表情・態度で応対することを求められる労働のことをいいます。つまり、態度の悪い客に理不尽なフレームを言われても、怒りを表に出してはならないというような感情がルール化された労働スタイルのことです。主にサービス業や接客業が代表的な職種で、コールセンターのオペレーター、フライトアテンダント、営業職、看護師、介護士、教員などが当てはまります。また、これらの職種以外でも、上司の理不尽な指示にも従う、職場内の空気を読んで感情を押し込める、時間外にも客の対応を強いられる、謝罪のために土下座するといったことも、広い意味で「感情労働」といえるかもしれません。
日本では、古くから「お客様は神様」とか、「サービス=ゼロ円」といった文化があります。東京オリンピックでは、「おもてなし」ということばで世界にサービス水準の高さをアピールしていました。
一方、海外で接客を受けるとき、日本と比べてかなり事務な印象を受けることがあります。客が長蛇の列を成していても、時間になれば窓口はぴしゃりと閉じられますし、規定外の要求には「ノー」とはっきり言われます。しかし、世界的にはむしろこれがスタンダートなのです。
サービスが適切なレベルかを見極めることは、とても重要だと思うのです。過剰なサービスに慣れてしまった客がより高度なサービスを要求してくれば悪循環にも繋がります。また、きめ細かなサービスを提供することが、従業員のメンタルヘルスの犠牲の上に成り立っているとしたら、それは自慢できる文化とは思えません。
サービスは提供する側の責任と裁量の範囲内であること、またそれを客側も認識することで行き過ぎたサービスを求めないことを、お互いに学ぶ時期がきているのではないでしょうか。感情労働を強いられることが多い日本的接客の文化も、世界的スタンダートな接客に変化する過渡期にある気がしていますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
A.S
2022/05/03
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